彩希弥生の車椅子でなにかしたい

文筆家志望のブログ。はてなブログの他にnoteも更新しています。

「あなたはできるから」は危険 障害者社会のカーストと気持ちと【note再編集】

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私の現状と最近の話

私は車椅子に乗っています。身体障害者手帳に書いてある障害の程度は1級です。なんなら障害年金の等級も1級です。

ですが、お手洗いには1人で行けますし、簡単な着替え程度であれば1人で着替えられます。学力のほうも一応普通の高校を卒業しています。
いわば重度障害者に分類される割にはしっかりした人間と認識されるのです。

そんなものなので、ゴールデンウィーク前に、通院と外出の支援をお願いしているヘルパー派遣事業所の担当者から連絡が来ました。「コロナ禍で利用していないこともあり、契約を解除したい。土曜日に派遣できるヘルパーが現状いない」とのことでした。一応、こちらも支援機関やお役所から、「同じ条件で違う派遣事業所を見つけるのはなかなか難しい」と言われているため保留にしていただいていますが、恐らく契約を解除せざるを得なくなると思います。→明日か明後日に詳細を書きますが、契約解除しました。

コロナ禍を理由にして利用していなかった私も悪いとは思いますが、理由の一つとして、1ヶ月以上前に予約しないとヘルパーさんが取れないという状況がありました。以前の記事にも書いたかもしれませんが、ヘルパーさんの数がコロナの関係(子育て中の方が多いため、休校対策等)で退職してしまった方が多いようなのです。ヘルパーさんの絶対数が足りず、定期的に利用予約が入るような重度障害の人がどうしても優先となってしまうのです。
そもそもといえば、コロナ禍の前、前任の担当者の頃から私が連絡をしないと予約の確認が取れない派遣事業所にも不満がありました。「この人は確認の電話を入れてくれるから大丈夫」とでも思われていたのでしょう。

障害者社会の現実(当事者内での譲り合い)

私は、『障害者の世界』におけるカーストは、『障害の重い人が優先』される状況になっていると思います。
そのため、私みたいに身体障害者手帳1級でもつたえ歩きや自力でトイレに行ける人間は、ある程度任せられてしまいます。具体的には集団旅行のときに、福祉バスに乗るのに階段を歩いて昇って行く、お手洗いは通常の女性トイレを利用するなどです。本当はリフトに乗りたいという希望、多目的トイレに入りたいという思いなどがあるのですが、『その方法でしか移動やお手洗いができない』障害者が優先され、私みたいに支援があれば自力で移動ができて、知的障害もない者の願いが叶うことはありませんでした。
しかし、上記のような身体的問題であればまだ仕方ないのです。障害の重い人にはどうしようもできないのですから。先ほど書いたヘルパーの予約を自分で確認するだけならそれもまだ良いのです。
とにかく困るのが、『希望したことを無視される』、『お願いしたことが進んでいない』といったことです。次の項目で触れていきます。

障害者社会の現実(我慢させられる軽度の当事者)

具体的に書きますと、企業への就労を目指そうと思ったときに、身体と収入のバランスを考えて、「週4回勤務」を希望したのですが、就労支援機関の担当者から、「あなたの障害なら週5回働けるから」と、現在勤務先となっている会社との勤務条件を週5回で調整されてしまいました。企業との面接の場で、「週4回勤務にして欲しい」とも言い出せず、条件が良すぎたので記念受験のつもりで受けたら採用までいってしまい、今に至ります。(ちなみに現在は、「今になって週4回勤務なんて言い出せない……。週1日分を誰が埋めるんだ……?」という状況になっております。)
また、私は上記の就職に至る前に福祉作業所を利用していました。職員さんたちは当時から、「彩希さんなら就職できるからがんばれ」という視点で私を見ていましたが、利用を始めてしばらくの頃は、「就職したい」という気持ちは私にありませんでした。しかし、施設職員から就職のことを言われたり、就職説明会に行くことへなったりしました。就職が現実的に難しくても就職したい他の利用者もいる中で、私だけがプレッシャーのかかる支援を受け続け、時には辛くなることもありました。
施設の利用時だけではなく、就労後も似たようなことが続き、「この件については、支援機関の私どもで話を伝えておきます」と言われたことが、伝えていないのか、伝えられた側が行動していないのか、全く進展していない件があります。正直、非常に困りまして、支援機関に対する信用が薄くなってしまいました。

本人の思い(気持ち)よりも、障害の実情(その場に合った障害の重症度)が優先されてしまう。
それが今の障害者支援なのだと、私は思います。

障害者の支援において私が望むもの、そして目指すもの

前項の前半の内容は本来、本来重いとされるその障害を尊重して、障害が軽い者は折り合いをつけて、思いやりや譲り合いながらやりくりしていくものだと思います。
しかし、後半部分に書いた、「障害の状況だけを見られ、『あなたはできるから』という理由だけで、本人の希望を尊重しない、本人に丸投げする・我慢をさせる支援というのには問題があるのではないか?と、私は思います。その結果、本来、他の人の障害者を理解し、譲り合いの気持ちを対応していく前半の内容ですらも納得できずにストレスとなってしまう気がしています。

人手不足ですし、そもそも『障害者自立支援法』の原則して、「自立出来る者は自立する」というものがあるからかもしれませんが、もう少し障害当事者の気持ちに寄り添った支援があってもいいと個人的には感じています。
私の目標として、「障害者(車椅子)の日常や気持ちを通して、皆さまへの障害に対する理解や、悲しい思いをする人が少しでも減る世界」を推進していきたいです。

加えて最近は、最重度の障害を抱える人はもちろんのこと、私のように重度障害に分類されながらも障害者の中では軽度とされ、でも一般社会では重度障害となってしまう……。そのような障害者の世界でも一般の社会でも生きづらくなっている人の支援もしていきたいと考えるようになりました。大学の合格と無事に卒業できるかも不安ですが、その夢に向かって行きたいです。

おまけ

本記事のとおり、全くといっていいほど就職する気がなかった私が、どうして企業就労をすることになったのか。
それについては、こちらの記事をご覧ください。