彩希弥生の車椅子でなにかしたい

文筆家志望のブログ。はてなブログの他にnoteも更新しています。

脳性麻痺で車椅子の私が普通の全日制高校に進学した理由【note再編集】

f:id:myb_y_saiki:20220602215825j:image

特別支援学校の高等部に通いたかった私

昨日の続きです。

今から20年近く前の話です。

生まれついて脳性麻痺による四肢麻痺で、小学生くらいから車椅子生活の私。
中学3年生だった私は、「車椅子の障がい者なんだし、普通に特別支援学校(養護学校)へ進むのだろう」と思っていました。

大人たちの希望

ところが、親(母)や支援学級、普通学級の担任からは中学からも近い、当時2・3年前に校舎が建て替えられて、エレベーターのある普通の高校を薦めてきました。
学生時代の私の学力はいわゆる中の下。板書なども出来、得意科目(当時から絶対評価でしたけど)は5段階評価で5を取れる、5教科の勉強は健常者程度にはできる程度。今にして思えば頑張ればその高校に進学できる学力でした。
また、その高校には定時制課程もあったため、「全日制がダメだったら定時制に通えばいい」ということになり、私の思いは置き去りにされて話は進んでいきました。

そうはいっても、私は特別支援学校に進学するつもりでしたから、と親や担任の薦めでとりあえずは普通高校のことを調べたり、オープンキャンパスに行ってはみましたが、「ここに通いたい」気持ちはあまり湧かなかったと思います。
ちなみに親が通わせるつもりでなかったため、親も含めて、近くの特別支援学校に足を運ぶことは1度もありませんでした。

大人の希望に反してやる気のなかった私

そういう感じでしたから、私は全くをもって受験勉強をしていませんでした。そうこうしている間に高校受験の時期が近づいてきました。今でこそ、前期と後期に高校入試が分かれるということは一般的ですが、私の世代は推薦と一般という形で2回に入試が分けられた初めての年でした。

はじめに行われる推薦入試は、学校の成績と面接の結果で合否が決まります。面接なんて練習しないわけがありません。当然やります。私もやります。私は、やる気のない中、面接練習を強いられました。しかし、そこで私の決意、運命を変える事件が起きます。

運命の分岐点

面接は約2人ずつのブロックに分かれて練習を行うスタイルだったのですが、自分の名前が書かれたブロックを見て驚きました。
私と同じブロックに振り分けられたのは、私が当時片想いしていた人でした。小学校5年生の頃に一目惚れをして、ずっとずっと好きだった人と一緒に面接の練習をすることになったのです。
少しは会話をする仲だったので、面接の順番待ちをする間に、「そこ(その普通高校)を志望しているの?」と訊くと、彼は、「うん」と答えました。

そのとき、私は思いました。
「彼と同じ学校に通いたい!」と。
今思い返しても大変に不純な動機ですが、20歳を過ぎても、「好きな人に認められたいから」と就労を決意したあたり、未来の私も性格が変わっておりませんでした。故にどうかお許しください。

受験の結果

そこから、あがり症と高倍率だったこともあり推薦入試は不合格になってしまいましたが、担任のサポートも受けて駆け込みで勉強した結果、なんとか後半の一般入試で合格し、彼と同じ課程の全日制普通科の高校へ通えることになりました。(彼は推薦で合格していたらしいです)

高校入学後の現実

しかし、現実はそんなに甘くなく、入学後のクラスは彼と別れ、教科ごとの振り分けでも一緒になる機会は全くなく、話すこともなくなりました。
そのうち、彼の雰囲気が変わったと感じたのを機に、私の恋は自然消滅しました。

今と違う人生だったかもしれない

同じ高校を志望していたクラスメイトは多く、他の人と面接グループが同じになる可能性も当然ありました。彼と面接練習のブロックが一緒になったのは、本当に運命というか神様のイタズラだと、今でも思っています。もし、あのとき、面接のグループが違って、彼の志望校を知らないままだったら、私は高校入試を突破できていないと思います。同じ学校の定時制課程か、最悪どこの高校にも合格しなかったと思います。
そして、自分の意見を押し通し、特別支援学校学校に進学していたら、今の会社で働く私はいません。高卒の学歴ではなく、そもそも会社への求人応募資格がありませんでした。

普通の高校に通って思ったこと

結局、恋が実らなかったことだけを切り出せば、昨日と同じですが、「人を理由に進学場所を決めてはいけない」と私は思います。

頑張った分、疲れた気もする高校生活でしたが、今の仕事で役立つスキルも身につきましたので、普通の高校に通ったことは無駄ではないと思う私なのでした。

おまけの参考:未来のお話